【 超絶変身ユカリオン1】 本文抜粋

プロローグ

それは、紅い炎に包まれた、記憶。

ベルの音がけたたましく鳴り響く。焦げ臭い匂いと熱さが渦巻く部屋で、幼い由香利は隅でおびえていた。周りに家族は居なかった。居ないなら探しに行かなくては。そう思って、由香利は大声で泣きながら部屋を出た。見慣れた研究所が迷路のように感じた。とにかく走った、走って誰か居ないか探した。お父さん、お母さん、早田さん。家族のことを、何度も繰り返し叫びながら走った。
 ドアを叩くようにして外に出たそのとき、後ろで爆発が起きた。由香利の身体は吹き飛ばされて、空中を舞い、地面へと叩きつけられた。胸に熱い痛みを感じていた。
 薄れ行く意識の中、炎の中から、銀色のウサギが飛び出すのが見えた。
 ウサギは手に光る剣を持ち、研究所を襲った化け物と戦っていた。化け物へ果敢に立ち向かっていくウサギは、由香利たちの味方だった。
 あちらこちらで爆発が起きる中、父と早田が自分の名前を叫んでいるのが聞こえてきた。しかし、すでに身体を動かせなくなっていた。由香利は死んでしまうのだと思った――そのときだった。
「由香利は私が守るわ、絶対に助ける!」
 優しく、力強い声が聞こえた。
 全身が暖かい何かに包まれたのが分かった。胸の痛みが和らいでいく。誰かが由香利を助けてくれたのだ。
 そして由香利はゆっくりと、瞼を閉じた。

 

――まるで赤ちゃんみたいだ、こんな風に丸まっているなんて。
 由香利はそんなことを考えながら、いつの間にか自分の両膝を抱えてまどろんでいた。あたりは真っ黒で、何も見えず、プールに潜った時のような、柔らかい何かに、身体は優しく包まれていた。
 ここは安全だと誰かが囁き、優しく頭をなでられた。暖かな手の感触を享受しながら、由香利は心から安堵した。だけど、もう二度とそうしてもらえないような感じがして、思わず由香利は手を伸ばした。
 しかし、暖かさに触れた瞬間、消え失せた。まるで繊細なシャーベットが、舌先に触れたそのとき、溶けて消えるかのように、儚かった。
 ふと、伸ばしたままの指先に、何かが転がった。雨粒のように腕を踊って降りてきた「物」を、由香利は握った。ほのかに暖かいそれは、緑色の光を携えていた。握った手をゆっくりと開く。宝石だった。緑色の淡い光を放つ、クリスタル。
 
【……ユカリ】

 名前を呼ばれたそのとき、手の中の宝石から光があふれ、徐々に明るさを増していく。すると、由香利を取り巻く暗闇を消し去った。辺り一面が、真っ白な光に包まれた。
 手のひらの上の宝石は、温もりを失ったりはしていなかった。由香利は両手で包み込み、大切に胸に抱いた。
 

「――ああ」
 夢心地のまま眼が覚めると、由香利は布団の中に居た。また真っ暗な場所に戻ってしまったのかと思ったが、よくよく見ると、薄暗い自分の部屋だった。胸に抱いたはずの宝石は無く、暖かさはあくまでも自分の体温なのだと自覚した。
 あの暖かさが懐かしい。記憶の底からよみがえる思いを感じながら、由香利は再び目を閉じた。

 


一.予感

朝。
 絶妙な焼き加減のフレンチトーストをナイフとフォークで器用に切りながら、由香利は昨夜見た夢のことを思い出そうとしていた。
(緑色の宝石を、大事にしてたなぁ、私)
 一口大のフレンチトーストをフォークで持ち上げながら、由香利は考えた。
 いつ頃からあの夢を見るようになったのだろう。確か、小学校に上がった頃から、ぼんやりとしたものを見るようになった。しかし、同じ内容の夢だということは分かっていても、夢は所詮夢なのか、目が覚めると大体の内容を忘れてしまう事が多かった。
(不思議だなあ、他の事は曖昧なのに、緑色の宝石だけは、毎回しっかり覚えてる。何でだろう?)
 未だ口に入らない至高の一切れから、黄金色のメープルシロップの滴がぽとりと垂れ、白い皿に落ちた。
「由香利ちゃん、シロップが服に付いちゃうよ?」
 柔らかな声音にはっとなり、由香利はあわててフレンチトーストを一切れ口にした。香ばしいバターの香りと、ミルクと卵の甘さに頬がゆるむ。この時ばかりは、不思議な夢のことを忘れそうになった。
「んー、おいしい!」
 思わず由香利は後ろを振り向くと、キッチンに立つ青年に声をかけた。銀色の髪の毛を一つに縛り、ひょろりとした長身の青年は、振り返って由香利に向かって微笑んだ。
「ありがとう、由香利ちゃん。そう言ってもらえると、作りがいがあるよ」
 ずれた銀縁眼鏡を手の甲で直した青年――早田は、もう一人の家族の為に、新たなフレンチトーストを焼いていた。
 香ばしいバターの香りが部屋中に充満し、食欲をそそる焼き目が付いたフレンチトーストを皿に移した瞬間、ダイニングのドアが開いた。
「おはよう諸君! おお、今日はフレンチトーストか。すばらしい! すばらしい朝だよ!」
 ゴールデンタイムのバラエティ番組のようなテンションの声が響く。ドアにはよれよれの白衣を着た中年男性が、ずり落ちた銀縁眼鏡を直す様子もなく、三流の役者のように両手を広げて立っていた。暫くダイニングの観客もとい家族の反応を窺っていたが、由香利は何事も無いように朝食を食べ、早田は朝食の用意を続けていた。見事なまでの無反応だった。
「うう……太陽の光は脳細胞を活性化させるんだよう」
 子供の言い訳のようにつぶやきながら、中年男性は早田よりも、さらに無造作にまとめた銀色の髪を揺らしながら、しぶしぶ自分の席――由香利の机向かい――に着いた。それと同時に、早田が「おはようございます」と言いながら焼きたてのフレンチトーストの皿を目の前に置いた。
「お父さん、おはよう」
 由香利は澄ました顔で挨拶を言う。
「おはよう、由香利。うう、なんでうちの家族は朝から冷たいんだい? お父さんはちょっと元気なだけなのにぃ」
「そのちょっとがウルサイの」
 大いに呆れた顔で由香利は反論した。
中年男性――由香利の父でありこの天野家の家主である天野重三郎は、しょんぼりしたように肩を落とした。オーバーだがなぜか憎めないその仕草に、由香利は「はいはい、朝から元気なお父さんが大好きだよ」と笑う。するとたちまち重三郎は「お父さんも優しくて可愛い由香利が大好きだよ!」と満面の笑みを浮かべた。
 いつの間にか重三郎の隣に座った早田は、重三郎に柔らかな笑みを浮かべると、手を合わせて「いただきます」といった。
 これがいつもどおりの天野家の朝で、六年前から四人掛けのダイニングテーブルに、三人で座って食卓を囲んでいる。
「ごちそうさまでした」
 一番初めに食べ終わったのは由香利で、使った食器を流しに置くと、そのまま和室へと向かった。 
小奇麗にされた和室の一角に、簡素で小さな仏壇があった。由香利は仏壇の前に正座し、手を合わせて目を瞑る。仏壇には、髪の長い女性と、五歳の時の由香利と、今より幾分か若い重三郎、今とほとんど変わらない早田の四人が写った写真が飾られていた。
「お母さん、行ってきます」
 写真の母に向かって、ささやくように言う。
 由香利の母、由利は六年前にこの世を去った。
 重三郎と由利は、パワードスーツの研究開発者だった。しかし、新しいスーツの研究開発中の事故が原因で、当時の研究所が火事で全焼。由利はスーツを守るため、最後に研究所を脱出。結果、煙を多く吸いこんでしまい、命を落とした。
 遊びに来ていた由香利も巻き込まれたが、直ぐに気を失ってしまったらしく、ほとんど火事の記憶は無い。火事や母の最期に関しては、全て重三郎や早田から聞いた話だった。
 最初こそ塞ぎこんだが、時間が解決してくれた。
 重三郎は今でも同じ研究開発をしている。早田は重三郎の弟で、ずっと重三郎の助手として働く傍らで、今は母の代わりに家事全般を受け持っていた。由香利が生まれる前からこの天野家に同居しているので、早田は兄のような存在だった。
 二人とも自宅とは別にある、新しい研究所で一日の大半を過ごしている。必ず由香利より先に帰宅し、休みも必ず一緒に居てくれる。二人とも由香利が寂しく思わないよう、気を使ってくれているのだ。

 

由香利は学校に向かうためにランドセルを背負った。玄関にある大きな鏡を覗いて、制服のリボンを直していると、視界の先にカレンダーが目に入る。明日の日付には、由香利自身が花丸を付けた『誕生日』の文字が踊っている。明日は十二歳の誕生日。天野家では毎年家族三人で誕生日パーティをするのが習慣だった。早田は由香利の好物ばかりを並べ、重三郎は由香利へのプレゼントを用意してくれる。お姫様になれる、特別な日だった。
(明日は早く帰ってこなくっちゃ。楽しみだなぁ)
 鏡の中の自分がにやけている事に気づく。そうしていると玄関に重三郎と早田がやってきたので、慌てて鏡から離れた。
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
「くれぐれも気をつけるんだぞ。最近不審者がウロウロしているらしいからな。学校からのメール配信に書いてあったぞ」
 その話はクラスの間でも噂になっていた。黒いフードをかぶった人物が、子供に意味不明な事を言いながら近づいてくるのだという。中には倒れて入院した子供も居るらしい。
 誠しやかな噂の中には、倒れたのは命を吸い取られたからだという話もあった。先生はそんなこと言わなかった。子供たちの間だけで流れる噂だった。
「うん、気をつける。ほら、防犯ブザーも持ってるし」
ランドセルの背負いベルトに付けられた淡いピンク色のブザーを見せる。それが証明になるかと思ったのに、大人二人の表情は晴れない。
 ここ二、三日、二人は何故か、異常なまでに由香利の安否を心配した。登校は集団登校の上、PTAの人が居るので良いが、下校時は早田が学校まで迎えに来るという始末で、ほかの児童から好奇の目で見られるのが恥ずかしかった。
小学校六年生にもなるのに、と抗議したが、早田の無言の微笑みには勝てなかった。
「早田さん、今日も迎えに来るの?」
 上目遣いで、拗ねるように聞いた。
「うん、今日も部活があるでしょう? だから昨日と同じ時間に迎えに行くからね」
 有無を言わせぬ微笑みと声音で早田は言った。隣で重三郎も頷いている。これ以上の抗議は無駄だと由香利は悟り「分かった」と答えた。迎えに来られるのは少し恥ずかしいが、さりとて嫌だとも拒否できない。早田は由香利にはとても優しい叔父だった。故に昔から、早田の笑顔には逆らえない。
「じゃあ、行って来ます」
 由香利は靴を履くと、玄関のドアを開けた。
「行ってらっしゃい」
 重三郎と早田の声がユニゾンして由香利の背中に投げられた。振り返ると、二人とも小さく手を振っている。
 由香利も応える様に手を振ると、外へと出て行った。

 

由香利が出て行った後の玄関に、暫くの間重三郎と早田は無言のまま立っていた。
「……不審者が普通の不審者だといいんだが」
「不審者に普通も何も無いでしょう。どちらにしたって由香利ちゃんが危険なのは同じですけど、普通じゃない方だったら余計危険です」
「もうあれから六年か。良く無事に育ってくれた」
 重三郎はカレンダーの花丸を見た。由香利の誕生日。明日になれば、優しく可愛い自慢の娘は十二歳になる。
「本当に、そう思いますよ。そういえば……アレの調整は済んだんですか、博士?」
「ああ、テストは終わっているよ。改良を加えて、完成に六年掛かった。由利が遺してくれた設計図と、君の協力で。しかし、あの力が必要な事態が、起こらないほうが……」
「それでも、確実に奴らは迫っています。それは紛れも無い、事実です」
 先ほど由香利に見せた柔和な表情が消え、真面目な顔になって早田は言った。一瞬、重三郎は泣きそうな顔をしたが、深呼吸をして、自分でそれを宥めようとした。
「……ありがとう。こういうときに、君の冷静さが頼りになる。どうもダメだね、僕はいざって時に決心が付かない」
 ははは、と重三郎は笑った。無理やり笑って、沈みそうな気分を吹き飛ばすためだった。
「お気持ちは分かります」
「アレは……『リオンスーツ』は、由香利の命を守る、大切なものだ。きっと、役に立つと……僕は信じている」

 

学校での由香利は、少し気弱で運動オンチな、それ以外は普通の女の子だった。
しいて得意なものと言えばクラブ活動の「大道芸クラブ」でやっているバトントワリングぐらいだった。
 クラブ活動の休憩時間、体育館の隅に控えめに座った由香利は、体育座りのまま、小さなため息をついた。手に持ったままのバトンをゆらゆらと揺らしながら、心ここに在らずといった表情で、またため息をつく。
 由香利の脳裏に浮かぶのは、夢で何度も現れた緑色の宝石だった。宝石は綺麗だと思うが、特に宝石が大好きというわけでもないのに、何度も同じ夢を見るのが不思議だった。
(なんか、とにかく、大切なものだってことは分かる……でも……)
 宝石が放つ光の大切さも、誰かも分からぬ手の暖かさも、すべて由香利にとっては嫌なものではなかった。それでも、それが何を意味するのか、はっきりと分からないことが、由香利を不安にさせた。
だが、他人には存在を知られてはいけないような気がして、友人にも、早田にも、そして父親にも話したことはなかった。
「……こういうときって、お母さんに話すものなのかな」
 誰に言うわけでもなく、由香利はつぶやいた。なぜか、母親には話してみたいと思った。お母さんなら、この宝石のことをどう思うのだろう。何か、知っているのかもしれない……。
(……? なんでお母さんが、知ってるかもなんて、思うんだろ)
 ふと湧き出た考えに、由香利は首をかしげる。でも、大切な親友にも、優しい叔父にも、大好きな父親にも、なぜかこの宝石の輝きを教えったくはなかった。
これは、自分だけの秘密のものなのだと。

【――ユ……カリ……】

(――!)
 突然だった。胸の奥が突然熱くなり、夢とまったく同じ声が聞こえて、由香利ははっと顔を上げた。思わず、バトンから右手を離し、左の胸にあてがった。心臓がどくどくと波打つのを全身で感じた。自分の身体なのに、どうしてこんなことになるのか、分からなかった。
 その気持ちを少しでも落ち着かせたくて、由香利は立ち上がった。二、三歩前に出た後、握ったバトンを顔の前に立てて、一瞬瞑想する。由香利が演技をする前に必ずやる動作で、由香利だけのおまじないのようなものだった。
 親指と人差し指の間にバトンを挟み、回転。滑らかに回転したバトンをもう片方の手で掴む。腕と背中と首にバトンを伝わせる。そして空中にバトンを投げる。
 くるくる回る銀のバトンが、照明に反射して、由香利はその輝きに心奪われた。バトンを操っている時は心穏やかになれた。バトンがまるで自分の身体の一部なったように思えるからだ。
 ふと、なんでこんなに心が騒ぐのかを考えた。お父さんも早田さんも、妙に自分のことを心配している。確かに不審者は怖いが、だからといって少し過剰だった。それに、もやがかかったような夢の風景が、ただの夢ではないような気がして。
 そのときだった。きらきらと光る中に、ひときわ異質な緑色の輝きが弧を描くように流れ、由香利は目を見開いた。
 夢の中で何度も見た緑色の宝石の輝きが、何故かバトンの流れの中に見えた。由香利のバトンのおもりはオレンジ色の筈だった。   
しかし、
(消えた?)
 一瞬だった。見えたはずの緑色の輝きは消えうせていた。
それが気になって、由香利の意識がふとバトンから離れた瞬間だった。あっ、と声を思わず上げるが遅く、ほんの少し、降りてくるバトンと指の位置がずれて、カツーン! と派手な音を立ててバトンが床に落ちた。
転がるバトンを半ば放心状態でながめていると、バトンは体育館の隅にまで転がって、誰かのつま先にこつんと当たった。
 白い腕と手が丁寧にバトンを拾い上げ、由香利に向かって声をかける。
「これ、由香利のバトンだろ?」
 思わず由香利が顔を上げた先には、琥珀色の勝気そうな瞳を持ち、さらさらの黒髪を頭の後ろで一纏めにした少女が居た。
「恩ちゃん……」
「どーしたんだ、珍しい。由香利がバトンのキャッチミスするなんて。はい、バトン」
 恩と呼ばれた少女は由香利の隣まで駆け寄ると、拾ったバトンを差し出した。「ありがとう、恩ちゃん」と由香利はお礼を言って受け取った。
「ねえ、私がミスするって珍しいかな? そんなことないと思うんだけど……」
 得意とはいっても、所詮は学校のクラブ活動で覚えた技しか出来ないので、バトントワリングの教室に行っている子と比べれば実力の差は歴然としている事ぐらい、由香利には分かっていた。
「え、珍しいだろ、由香利ってノーミスが普通って感じだし。すげーよな由香利って。バトン回すと、まるで生きてるみたいに操るから」
 恩は肩にかけていた巾着袋から、カラフルなジャグリング用ボールを取り出しながら、男子に負けず劣らずの男言葉で由香利を賞賛した。取り出したボールを操る姿も大雑把で、おおよそ「女の子らしい」という雰囲気から程遠かった。
 由香利と恩は一年生からの付き合いで、由香利が男子にちょっかいをかけられている所を、恩が助けたのがきっかけだった。
由香利にとっては、小学校に上がってから初めて出来た友達だった。
「ほ、褒めても何にも出ないよ……」
「別に、すげーもんをすげーって言ってるだけだよ。由香利のバトン見るの、私好きだから」
「……だからぁ」
 またもあっさりと、ごくごく自然に感想を述べられて、由香利は顔を赤くする。
 恩はいつでも、思ったことを素直に口にする女の子だ。それは時折、小さなイザコザを起こしたりもするが、それでも由香利は、恩のことを好ましく思っていたと同時に、消極的な由香利にとって、憧れだった。そして、友人であることを誇りにも思っていた。
母親がいないことについて、過度の同情も攻撃もしない、初めての友達だったからだ。
「恩ちゃんだって……その、ジャグリング、すごいもん。今だってボール一個も落としてないし」
「ありがと由香利。まあ、もう癖みたいなもんだけど」
 由香利と話す間、恩の手にある三つのジャグリングボールは地面に落ちることなく、一定のリズムで左右の手を行き来している。
 恩はボールジャグリングの中でも、複数のボールを空中に投げるトスジャグリングが得意で、大会では何度か入賞経験があった。由香利も試したことがあったが、一つのボールを投げるたったそれだけでも、正確な高さ、一定の弧を描く必要があり、そう簡単に出来るものではなかった。
 恩はボールをひときわ高く投げると、くるりと一回転した後、右手で全てのボールを受け止めた。
「おわりっ、と。そうそう由香利、最近なんかあったの?」
 ごく自然な調子で、恩は由香利に問いかける。
「えっ?」
 まるで、自分の心を見透かされたような質問に、由香利は息を呑んだ。
「な、なんで、そんな」
「なんか最近ぼーっとしてたりするしさ。言い辛いことだったらいいんだ。でも、由香利が不安な顔してんのは、私、嫌だから」
「恩ちゃん……」
 苛められっこの自分を心配してくれているのが良く分かって、由香利は嬉しかった。高学年になるにつれて、男子からちょっかいをかけられることは少なくなったが、それでも恩は、由香利のちょっとした表情から気持ちを汲んでくれる。
「ありがとう、恩ちゃん。じゃあ本当に困ったら、相談させてくれる?」
「おう、もちろん! いつでも由香利の力になるぜー」
 恩がガッツポーズをしながら答える。オーバーな仕草がなんだか自分の父親と似ているような気がして、由香利から思わず笑いがこぼれた。不安だった心臓のどきどきが和らぐ気がした。


二.災い再び

暗闇の中に、不気味な青白い光が一点、灯った。よくよく見るとそれは大人一人入れそうな大きな円筒で、中で何かがゆらりと動く姿が見えた。
「……リ、オン、クリスタル」
 どこからとも無く聞こえてきた声は、まるでノイズをかけられたように、聞き取りにくい。しゃがれた老人のような声でもあり、はたまた、変声期さえ迎えていない、甲高い少年の声のようでもあった。
「サガセ……ウバエ……」
 辺りが暗いことも相まって、執念に満ちた声はおぞましく響く。そこに、円筒の前に黒い影が一つ、跪いていた。
「ええ、ええ、承知しておりますワ、マイ・マスター。アタクシにも、日に日に、クリスタルの力が強く感じられますワ……あの忌々しい、アルファの力が」
 言葉遣いこそ女性のものだが、その声たるや、低い男の声をわざと甲高くさせているようで、ひどく不釣合いな印象を受ける。
 ごぼっ、と円筒の中で水音が泡を作る。どうやら、円筒の中は水溶液で満たされており、その中に『何か』がホルマリン漬けのように浮いていることが分かる。
「でも、偉大なるマイ・マスターならば、アルファの力を掌中に収めることなど、赤子の首をひねるようなもノ……ああん、ス・テ・キ!」
 次第に恍惚を帯びる黒影の声は、最後には叫びにも似た賞賛になる。俯いていた顔が円筒の薄暗い明かりによって晒される。薄笑いが描かれた真っ白な仮面は、何故か顔半分のみを覆っていた。覆われていない素顔は、うっとりとした顔で円筒の中に浮かぶものを見つめている。筒の中で、ごぷっ、と泡が答えるかのように水中に舞った。
 低い機械音と共に、円筒の辺りから無数のモニターやランプ、指針の明かりが灯っていく。
「あれから一体、どのくらいの時間が経ったのかしラ……。やっと、アタクシ達の身体が回復したというのに、マスターはこんなお姿に。忌々しい、アルファの力を持つ者の所為で! きっと、きっと手に入れて見せますワ。そしてこの地球に君臨するのは、愛しのマイ・マスター・Dr.チートン様……」
 陶酔しきった声のまま、黒影は円筒の中の『物』に顔を寄せて囁く。……が、蜜月の時間は長く続かなかった。
黒影の背後に、別の気配が現れたのだ。
「怪人デ・ジタール……」
 黒影がゆっくりと立ち上がると同時に、照明が全点灯し、あたり一面の全貌を明らかにした。
 ――無数の管に繋がれた、巨大な円筒を中心に据え、壁一面にはモニターや指針が忙しなく動いている。そして円筒の中には、皺と髭でいっぱいの老人の首が、目を閉じてぷかぷかと浮いていた。
 そして、黒影の姿もあらわになる。全身を毛で覆われた、猿のような化け物がそこにはいた。しかし猿と決定的に違っているのは、痩せ型の身体全体に巻きついている、触手の存在だった。
「あなたも感じていテ? デ・ジタール。あの、忌々しいアルファの力を」
 黒影――怪人サルハーフは、全身の触手をぬるぬると蠢かせながら振り返る。そこには、ブラックスーツを着込んだ巨体の化け物が立っていた。異様なのは、その頭部だった。一見ガスマスクを着けているようにも見える。しかし、眼と思われる部分に存在するのは、デジタル時計に使われている、7セグメントディスプレイであった。人間がまばたきをするかの如く、数字やアルファベットをひっきりなしに表示していた。スーツにも、腕時計の皮バンドがでたらめに巻きつけられている。
「カ、カ、カンジル。ア、ア、アルファ、ノ、チ、チ、チカラ」
 デジタル時計の頭を持つ、怪人デ・ジタールは一定のリズムを刻むように、抑揚の無い電子音声を放った。
「人間の子供の生体エナジーは、良いウォーミングアップになったようネ。アナタ、生き生きしてるワ!」
「イ、イ、イキイキ、イ、イ、イキイキ」
 身体を左右に揺らしながら、デ・ジタールは言った。
「ゲ、ゲ、ゲンキ、ダ、ダ、ダカラ、ウ、ウ、ウバウ、マ、マ、マスターノ、タ、タ、タメ、リ、リ、リオン、ク、ク、クリスタル、ア、ア、アルファ……」
「そう、その通りなのヨ! 我等が愛するマスターの為ッ! さあ、お行きなさい、リオンクリスタル・アルファを手に入れるのヨ!」
 サルハーフの自信に満ちた叫びが部屋全体に満ち渡る。円筒の中のDr.チートンなる老人の口元が、不気味な微笑を浮かべた……。

燃えるような夕日が、由香利たちの頬を紅く照らしている。
 恩と一緒に学校を出て、夕暮れ時の空を見た瞬間、由香利の心がざわりと騒いだ。理由は全く分からない。何かに怯えるような、そんな気持ちになってしまったので、校門前で待っていた早田の姿を見た瞬間、大いにほっとしたのだった。
 子供だけの時に危ない人が出るというのは聞くが、大人と一緒に居るときに出るなんて話を、由香利は聞いたことが無い。由香利の不安は、学校を出たときより和らいでいた。
 やがて十字路に差し掛かると、恩が足取りを止めた。ここを右に曲がると、彼女の家にいける道に繋がっているのだ。
「また明日ね、恩ちゃん」
「おう、また明日なー!」
 お互いに手を振って、それぞれの帰路へ再度歩き出す。いつも通りの帰り道の、はずだった。
(――!?)
 突然、由香利の胸の奥がどくん、と、今まで感じたことの無い強さで高鳴り、思わず自分の肩を抱きしめた。
「え……っ」
「由香利ちゃん!」
 ぐらりとよろめいて、早田が身体を受け止める。身体に、制御できない大きな力が溢れているのを感じていた。熱に浮かされたように身体が熱いのに――操り人形のように、早田から離れ、今まで歩いてきた道を戻り始めた。早田の制止する声が聞こえているのに、立ち止まろうにも身体が言うことを聞かないのだ。
 十字路までたどり着き、恩が曲がった角を行くと、そこには、さっきまで元気に手を振ってくれたはずの恩が、道路に倒れていたのだった。
「め、ぐみ、ちゃん……!?」
 何があったのか、全く理解が出来なかった。急いで駆け寄り、名前を叫びながら身体を揺らすが、まるで眠り姫のごとく、反応がなかった。
 このとき由香利の脳裏に浮かんだのは、例の不審者の噂話だった。恩は襲われて、命を吸い取られたのだと。
「恩ちゃん、恩ちゃん、恩ちゃんっ!!」
 無我夢中で恩の名を呼んだ。しかしいつのまにか、辺りには早田どころか、人の気配そのものが無くなっていた。
「早田さんっ、早田さあああん!!」
 あたりを見回しても、早田の姿も声も、全く感じられなかった。
 燃えるような夕日はどこかに消え去り、いつの間にか日は落ちていた。黒い絵の具で塗りつぶされたような世界に、閉じ込められたようだった。押しつぶされそうな恐怖に震える由香利は、何者かの気配を感じて、顔を上げた。
 そこには、黒いフードを被った、巨体の人影が立っていた。どこからどう見ても、恩をこんな目にあわせた犯人に違いなかった。しゃがんだまま動けなくなった由香利は、目を覚まさぬ恩の身体をぎゅっと抱きしめながら、次は自分なのだという恐怖に全身を震わせた。
 黒フードが身じろぐと、ずるりとフードがいとも簡単にずり落ち、その正体が露になった。
 異常に大きなデジタル時計の頭に、不釣合いなブラックスーツ、ところどころに巻きついた時計のベルト、そして、不規則に数字とアルファベットを表示するデジタル時計の7セグメントディスプレイ――怪人デ・ジタールの姿だった。
 およそ人間とは思えぬ、いわば化け物の姿に、由香利は声にならない悲鳴を上げた。格好だけならば安っぽいドラマの撮影か、着ぐるみとも思えたが、蔓延していたあの噂話が、いっそうの恐怖心を煽ったのだ。
「ハ、ハ、ハヤク、ミ、ミ、ミツケナキャ……」
 抑揚の無い声で、化け物は何かをしゃべったが、由香利にはよく聞き取れなかった。
 デ・ジタールが両腕を広げると、腕に巻きついていた時計のベルトが生きているようにうごめくと、由香利めがけてまるでゴムのように伸び、身体を拘束した。
「あああっ!」
 動きを封じられ、自由を奪われた由香利の身体は、いとも簡単に宙に浮き上がった。そのうち、ベルトに触れた部分から、気力が奪われていくのが分かった。
「……あ……ああ」
 次第に何も考えられなくなってきて、全身の力が抜けていくようだった。酷い眠気が由香利を襲い、抵抗することなど、考えも出来なかった。
(ねむい……もう、だめなのかな……)
 由香利の瞼が閉じられようとしたまさにそのときだった。
 
【――自分を、守れ!】

(……!?)
 自分とは違う、別の声が脳裏に響き渡った。男でもない、女でもない、不思議な声だった。再び胸の高鳴りを感じると、夢の中で感じた、あの暖かさを感じた。その瞬間、由香利は、夢の中で何度も見た宝石が、己の体内にあることを悟った。
(私の中に、あの宝石が……本当にあったんだ……)
 確かに自分の中に在るのだ。腕を動かして、左胸へ手を宛がう。その瞬間、由香利の身体が強い緑色の光に包まれた。
「っ……!」
 デ・ジタールのベルトが焼き切れ、灰になって地面へ落ちると同時に、由香利の戒めも解け、自由になった。
 デ・ジタールは怯んだのか、後ずさりをする。由香利はぼんやりとした表情のまま、ゆっくりと身を起こし、再び立ち上がることができた。
 緑色の光は、由香利を守る盾のように、六角形をかたどっていた。デ・ジタールが先ほどと同じように、鋭くベルトを伸ばしてきた。由香利は思わず目をつむったが、バシッという音がしたので目を開くと、ベルトは光の盾に阻まれ、灰となって散っていた。
(すごい。何なの、これ)
 身体から力を感じ、緊張感が由香利を支配していた。その力が、自分の身体を守っていてくれるのだと、由香利は感じていた。
 するとデ・ジタールは動きを止め、忽然と姿を消した。その後、由香利を守っていた光の盾の力が弱まり、ついには消えた。
 それと同時に、緊張感がふっと消えた。身体から力が抜けて、倒れるその瞬間、誰かが肩を支えてくれた。
「由香利ちゃん!」
「は、やたさん……化け物……」
 身体を受け止めてくれたのが早田だと解った瞬間、酷く安心して、全身の力が抜ける。
「化け物は、居ないよ、大丈夫。君が、追い払ったんだ」
「……良かっ……た」
 早田の言葉に、由香利は小さく微笑むと、気を失った。
 
 
三.勇気と決意

暗闇の中で、由香利は両膝を抱えてまどろんでいた。瞳をぴったりと閉じ、いつも見る夢と同じ居心地の良さと暖かさに、由香利は安心していた。 
(……あたた、かい)
 もう、誰の傷つく姿も、自分が傷つくのも、見たくなかった。あれが何だったのか、どうして襲われたのか、考えたくなかった。
(ここから……出たく、ない)
 ぴったりと閉じた瞳から、うっすら涙が溢れる。
 
【ユカリ】

囁かれた名前の声は優しい。頬を撫でられた感触は柔らかく、暖かい。

【泣くな、ユカリ】
 
 目元にたまった涙を暖かい指がぬぐった。それが合図だったように、由香利の瞳が、ゆっくりと開かれた。
 暗闇にぽっかりと、緑色の宝石が一粒、由香利の目の前に浮かんでいた。緑色の柔らかな光を携え、きらきらと光っていた。
(綺麗……)
【それは、君の命そのものでもある】
 目の前の宝石から、あの優しい声が聞こえた気がした。由香利は驚いて目を丸くする。
(宝石が、しゃべってるの?)
 由香利の言葉に反応したのか、宝石はくるくると回る。
【私の名前は、リオンクリスタル・アルファ。
君の身体の中で六年間かけて再生された、鉱石だ】
(あの宝石は、あなただったのね)
【君は、六年前起きた火事で瀕死の重傷を負った。絶命寸前だった君に宿り、生命維持装置の代わりを果たしてきた】
(そんな……。私、六年前の火事のことを、よく覚えていないの。そのときの記憶だけ、すっぽり抜けちゃってる)
【幼かった君には、負担が大きすぎた。だから、記憶の一部に鍵をかけ、一時的な記憶喪失の状態にしてあった。徐々に、さまざまなことを思い出すだろう】
(私の身体が、勝手に動いたのは、あなたの力? そして、さっき私を守ってくれたのも、そうなの?)
【まず、勝手に君の身体が動いたのは、私と同類の物質である「リオンクリスタル・ベータ」と私が共鳴したためだ。ベータは、君を襲った異次元モンスターの核になっているものだ】
(異次元、モンスター……?)
【地球上の物質とクリスタル・ベータを融合して作られた怪人だ。この地球を支配しようと企む宇宙漂流者『Dr.チートン』が彼らを操っている。そして、さっきのバリヤーは、君を守るためだ】
(私を……?)
【そう。君の細胞一つ一つは、私と繋がっている。私が君から離れてしまうと、そのバランスが崩れ、君は死んでしまう】
(だから、あなたは私の命そのもの、なの?)
【その通りだ】
 くるくる回るクリスタル・アルファに、由香利は指先を伸ばす。ほのかに暖かい感触に、心が穏やかになる。信じがたい事ばかりが起きているが、この暖かさは、ずっと自分の傍にあったものだということは、理解できた。
(そっか……。私、だから生きてるんだ)
 由香利は夢のように、両手でクリスタル・アルファを包み込むと、大切に胸に抱いた。
(私を助けてくれて、ありがとう。ねえ、なんて呼べばいいのかな。始めに聞いた名前は、呼ぶには長いから)
【私の事は、アルファと呼んでくれないか】
(分かった、アルファ)
 名前を呼ぶと、アルファと心臓の鼓動が重なる気がした。

気が付いた時には、由香利の身体はベッドの上だった。白い蛍光灯の明かりがまぶしくて、瞬きをする。寝返りを打つと、見慣れた白衣の後姿が見えた。
「……おとう、さん?」
 由香利のか細い声に重三郎は振り返り、安堵のため息をついた。そして由香利の傍まで来ると、由香利の目線までしゃがみ、やさしく頭を撫でた。
「ああ、由香利、気がついてよかった。具合はいいのか? ……ん、そうか。早田、早田ーっ、由香利が目を覚ましたぞーっ!」
 よくよくあたりを見回すと、そこは知らない場所だった。所狭しと機械や本棚などが並んでいて、普通の家の中では無いことは分かった。
「お父さん……ここ、どこ?」
「ああ、ここはお父さんの研究所だよ。安心しなさい。由香利が無事で、良かった」
 重三郎はそれだけ言うと、白衣を翻し、別の部屋へと行ってしまった。
 起き上がるとまだ少し目眩がする。まだまどろみの中にいるようだった。そのうち早田がお盆を持って現れたが、酷く意気消沈した表情だったことに由香利は驚いた。
「気がついて、良かった。僕が付いていながら、危ない目にあわせてしまって、申し訳ない」
 落ち込む早田を見て、由香利は強くかぶりを振った。早田の所為ではないことぐらい、由香利にも分かっていた。
「私は、大丈夫。早田さんが、巻き込まれなくて良かった」
 早田が無事だったことに、由香利は心底安心した。早田までもが倒れていたらと思うと、ぞっとする。そして、恩のことが心配になった。
「早田さん、恩ちゃん……恩ちゃんは、大丈夫なの?」
「恩ちゃんは、あの後ご両親に連絡して、病院に連れて行ってもらった。酷く体力を消耗しているから、しばらく入院が必要だけど、命に別状は無いそうだよ」
「そう、なんだ……」
(恩ちゃん……)
 命を吸い取られ、入院した子供たち……噂は本当だったのだ。由香利は言葉を詰まらせ、俯いた。由香利にとってショックだったのは、噂の真偽よりも、親友が襲われてしまった事だった。
 暫くの間、由香利も早田も無言のままだった。そこらかしこに置かれた機械から、うなるような低い音が響くだけだった。
 一体何から聞けばいいのか、知ればいいのか、由香利には分からなくなっていた。
(六年前の火事……アルファが私の中にあったこと……襲ってきた異次元モンスター……)
 どこからどう繋がっているのか。どこまでを、父親や早田は知っているのか。頭の中で様々な疑問が浮かぶ。
 そのうちに、別室から重三郎が帰ってきた。手には、三つのコーヒーカップを乗せた盆を持っていた。コーヒーカップを早田と由香利に渡すと、重三郎は傍らにある椅子に座った。
 部屋中に、マンデリンのふくよかな香りが広がるのが分かった。天野家では、改まって話をするときは、必ず珈琲を、しかもマンデリンを淹れるという習慣があった。
 由香利のカップにはマンデリンのカフェ・オレが入っている。口にすると、いつも通りの砂糖が入った甘いカフェ・オレの味だった。
 三人で黙ったまま、しばらく珈琲を味わい、ほーっ、と三人同時に息つく。すると、緊張の空気が一変し、やはり三人同時に破顔した。
「さて……由香利。まずは、危ない目に合わせて、済まなかった。酷な事を聞いているのは分かっているが、夕方、何があったか、お父さんと早田に、教えてくれないか」
 重三郎の言葉に、由香利は夕方起きたことを説明した。アルファのことも、分かる範囲で話をした。
「そうか……大体、分かった。まずは、そうだな……しかし、どこから話せばいいのやら」
「そうですね、博士。まずは僕から話します。順番通り話した方が、よいでしょう」
「そうだな、頼む」
 由香利は重三郎と早田の顔を、カフェ・オレをすすりつつ、交互に見比べながら、もう何を言われても驚かないぞという意思を固めていた。
「由香利ちゃん、実は僕はね、宇宙人なんだ」
 いつもの穏やかな顔のまま、早田は予想外の言葉をさらりと口にした。
「――!?」
 思わず由香利は、持っていたマグカップを落としそうになり、固めていた意志はあっという間に崩れ去った。
 早田をまじまじと見つめるが、一体どこが宇宙人なのかが分からない。どう見たって人間の形をしているし、変な声でもない。どこからどう見ても、いつもの早田そのものだった。
「ずっと秘密にしていて、ごめん。でも、由香利ちゃんがアルファの力に目覚めるまでは、極力普通の生活を送ってもらいたくて……博士と相談して、そう決めたんだ」
「あいつあんなこと言ってるけどな、僕は話しても良いよって言ってたんだよ。でも早田が頑なに由香利に嫌われたくないって言うもんだから……」
「あ、博士、そんなこと由香利ちゃんの前で言わないでくださいっ」
「おまえ宇宙人の癖に妙に常識人なんだよなー」
「あなたが地球人の癖に変なところで常識がないんです。大体、宇宙人を目撃しておいて、いきなり嬉しがるのはあなたくらいなものですよ」
「え、そーなの? そんなもんなの? みんな嬉しいと思ってた。両手挙げてバンザーイって……」
「そんなわけないでしょう!」
「あのお……」
 売れない漫才コンビのようになっている重三郎と早田の会話に、由香利はおずおずと口を挟む。二人がこうしている様は普段ならば微笑ましいが、今は状況が状況だった。
「わあっ、ごめん。簡単に説明すると、僕の本当の姿は、アメーバ状になっていて、いろんな生物の姿をコピーできる。実際、今のこの身体は、初めて出会ったときの博士をベースにして、ほんのちょっと骨格を変えただけ。本当は、こんな感じ」 
 マグカップを持つ早田の手が見る見るうちに透けていき、身体の中にたくさんの何かがうごめいていた。それは理科の教科書で見たことのある、細胞に似ていて、由香利はわっと声を上げ驚いた。
 慌てて口をふさいだが、思わず早田を見てしまった。ごめんなさい、と由香利が謝ると、早田は「いいんだよ、それが普通の反応だから」と言って、腕を伸ばした。いつものように頭を撫でてくれるのかと思いきや、由香利の目の前でその動きが止まり、ゆっくりと引っ込めた。
 由香利は一瞬疑問に思った。しかし、早田の伏し目がちになった顔で分かった。己の身体を気にして、触るのをやめようとしたのだ。
(私が怖がっちゃったからだ)
「驚かせて、ごめんね」
 由香利に心配をかけまいと、固い笑顔を浮かべた早田を見て、由香利の胸が痛んだ。そして、姿かたちなどどうでもいい、そう思った瞬間、由香利は早田の手を取って、いとおしむ様にして頬に寄せた。暖かい、いつもの早田のぬくもりがそこにはあった。
「由香利ちゃん……!?」
「驚いてごめんなさい。でも、私、思ったの。どんな姿でも早田さんは早田さん。私の叔父さんで、私を大切にしてくれて、そして私の大好きな家族。今までも、これからもずっと、変わんないの。私は、そうしていたい」
 由香利は頬に手を当てたまま、素直な気持ちを口にした。早田の指が、優しく由香利の頬を撫でる。早田が目を細めて微笑むと「ありがとう」とささやく。その様子を黙って見守っていた重三郎は口元を緩めた。
「うむ、うむ。まずこれで一つ、大事な話が出来た。さあ、ほかにも話さなきゃいけないことがある。頼むぞ、早田」
 由香利は早田の手を離すと、気持ちを切り替えようとカフェ・オレに口をつけた。早田も同じようにマグカップから一口コーヒーを飲むと、居住まいを正した。
「リオンクリスタル・アルファとベータは、元々は僕の母星の、伝説の鉱石なんだ。僕は、その二つの守人だった。だけどある日、宇宙漂流者・Dr.チートンの支配下に置かれ……星は滅ぼされた。僕だけが、アルファとベータの研究をさせられる為に拉致され、生き残った。リオンクリスタルは、不思議な力を秘めていたからね」
 早田の横顔に、由香利の知らない宇宙が見えた気がした。自分の生まれた場所が無くなるということが、どれだけ大きな悲しみなのかが、手に取るようにわかった。
「それからは生き地獄さ。いくつもの星の終わりをこの目で見てきた僕は、心も体もボロボロだった。だけどね、この地球を見たときに、ああ、なんて美しい星なんだろうって思ったんだ。そしてこのとき、やっとあそこから逃げ出そうって決心したんだ」
「そして、早田を見つけたのが、お父さんだったという訳さ」
「お父さんが?」
「そう。じゃあ、続きを話そうかな。早田は宇宙船からアルファだけは取り返して脱出したんだ。あれは星が綺麗な夜だったよ。空から何かが落ちてくるから、隕石だと思ってあわてて駆けつけた。そしたら早田の乗った宇宙船だったんだ。お父さんは早田から、アルファの力で、いずれ襲ってくるであろう宇宙漂流者・Dr.チートンに対抗するための道具を、一緒に作ってほしいと頼まれた。リオンクリスタル・アルファというのは、生物が持つ生きる力『生命エナジー』を利用し、無から有を作り出すことの出来る、夢のような鉱石だったんだよ」
 言葉を一旦切り、珈琲を口にする。
「お父さんはそのころからパワードスーツの研究をしていた。それを応用して作ったのが、生体エナジーを動力源にする、戦闘用パワードスーツ『リオンスーツ』だ……」
 重三郎は言葉を切り、椅子からたつと、パソコンデスクの近くにあったタブレット端末を持って戻ってきた。
「これだよ」
 差し出された画面には、銀色のロボットのようなスーツに身を包んだ人物の写真があった。ヘルメットの両側に付けられた部品が長く、顔の上半分はヘルメットと黒いバイザーで隠され、かすかに見えるのは口元だけだった。両腕と両足はロボットのように太くなっている。
「……銀色の、ウサギ」
 無意識のうちに口から出た単語に、由香利自身がびっくりして口をふさぐ。突如、由香利の脳裏に、紅く燃え盛る建物の記憶が蘇った。
意識は現実から遠く離れ、記憶の渦の中に飛び込んだようだった。
(……ああ!)
 六年前の火事の夜、炎の中から飛び出してきた銀色のウサギ……あれは、リオンスーツの姿だったのだ。
 紅く燃える炎がリオンスーツを照らしている。緑と紫の光がぶつかり合い、激しい戦いを繰り広げていた。リオンスーツのヘルメットが攻撃を受けて割れる。飛び散る破片の中に、懐かしい顔が見えた。
険しい表情をしていたが、それはまさしく母の姿だった。
 ああお母さんが戦っているのだと由香利は理解した。重三郎と早田が自分の名前を叫んでいるのが聞こえたが、もう身体を動かすことが出来なかった。二人の声が遠くなって、聞こえなくなるその時だった
「由香利は私が守るわ、絶対に助ける」
 母の声が聞こえて、全身があったかい何かに包まれた。お母さんが抱きしめてくれたんだ。お母さんが助けてくれたんだ。お母さん、お母さん、おかあさん――。
「お母さん!」
 たまらず大声で由香利は叫んだ。一瞬で現実に引き戻されたのに、身体が燃えるように熱かった。感情の高ぶりに任せ、身体をのけぞらせて喚き散らす。お母さん、お母さん、お母さんが死んじゃう。
「由香利っ……!」
「由香利ちゃん!」
 がちゃん、と二つの割れる音がした。重三郎と早田が、手に持ったカップの存在も忘れて、同時に由香利を抱きしめたのだ。
「……う、うう……」
 獣のように唸りながら、由香利は暴れるのをやめた。思い出したのだ。リオンスーツを開発し、自ら着用した母親――「これは女の人しか着られないの。どうしてかは分からないけどね」未完成のリオンスーツの前、母の雑感が蘇る――化け物と戦っていた母――巻き込まれた自分――瀕死の重傷。
「スーツが完成したその日、研究所が襲われたんだ。アルファとベータの共鳴が引き金だった。Dr.チートンが、配下の異次元モンスターを引き連れて襲ってきた。奴の目的は、アルファの奪還だった。そして由利が戦った。しかし、由香利が巻き込まれて……由利が……アルファの力を全て解放して……由香利を助けてくれた。自分の残り少ない生体エナジーを使って……由利は命を落として……。母さんを助けられなくて、済まない、本当に、済まない……ごめんよ、ごめん……いくら謝っても、謝りきれないんだ……」
 抱きしめる重三郎の腕の力が強くなる。
「僕も同罪なんだ……守れなかったんだ、由利さんを……」
 やがて二人の啜り泣きが聞こえ、由香利は段々と気分が落ち着いてきたのが分かった。重三郎と早田の袖から、今まで気づかなかった火傷の痕が見えて、傷ついたのは自分だけではない事を悟った。
 すると今度は悲しみで胸がいっぱいになって、わあわあと泣き出した。母親が死んだことを改めて理解した。母親のおかげで生き残ったことを、強く感謝した。
 暫く泣き続けたあと、由香利が落ち着いた事を確認した二人は身体を離す。重三郎が由香利の頭を優しく撫で、早田が由香利の目じりにたまった涙を静かに拭った。居住まいを直した早田が、由香利の目を真っ直ぐに見る。
「由香利ちゃん、もう分かっていると思う。狙いは……由香利ちゃんの体内にある、リオンクリスタル・アルファの結晶」
「だから由香利……お前にこれを、託したい」
 重三郎は白衣から、箱を取り出して、由香利へと差し出した。手のひらに乗る大きさの、四角いアクセサリーケースだった。
「開けてごらん」
 言われるがままに箱を開ける。中に入っていたのは、緑色の宝石がはめ込まれた、六角形の銀色に輝くブローチだった。由香利がそっと触れると、緑色の宝石がきらめき、由香利の身体の中から、緑色の光があふれ出した。今までとは違う、透明なエメラルドグリーンの光だった。
「!!」
【私の半身が、反応している】 
 まどろみの中で聞いたアルファの声が、由香利の脳裏にはっきりと聞こえた。
「アルファの半身……?」
「このブローチは『リオンチェンジャー』といって、リオンスーツを装着するために必要なアイテム。真ん中の宝石は、そう、アルファの欠片だよ」
「由香利、お前にこれを託す。これが、由香利を守る、唯一の存在なんだ」
 いつになく固い声で、重三郎は言った。
「これがあれば、異次元モンスターがいつ何時襲ってきても、対抗することが出来る。あれから六年、改良に改良を重ねた。絶対に由香利を守ることが出来る。たとえ僕たちが居なくなっても、由香利だけでも……」
「そんなの、嫌!」
 由香利は重三郎の言葉を遮った。母のように居なくなるなんて、二度と御免だった。
「お父さんも早田さんも、居なくなるなんて嫌だ! 私のせいで、誰かが傷つくなんて、絶対に嫌だ!」
 自分の体内にアルファがある限り、異次元モンスターが現れる。そして、恩やほかの子供たちのように、襲われる人が増えるかもしれない。
(お母さんは自分の命を犠牲にして、私たちを救ってくれた……だから、今度は、私が守るんだ)
「お父さん……早田さん……」
 由香利はブローチを手に取った。すると、ブローチと、自分の身体が完全に一体になるのが分かった。全身に溢れる力が、由香利に勇気を与えてくれた。それはまるで、あのまどろみの中で頭を撫でてくれた暖かさに似ていた。
(そうか……あの手はお母さんだったんだ。私を守ってくれた、お母さんの手だったんだ)
 重三郎と早田を真っ直ぐに見る。決意を秘めた瞳を、見てほしくて。
「お母さんみたいに、上手く戦えないかもしれない。今までより心配かけるかもしれない。でも、私、この力で戦いたい。守るために、戦いたい。お父さん、早田さん、私、リオンスーツで、異次元モンスターと戦う……!」
 
 ――本文へつづく

またまたご冗談を!/服部匠/2013
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